パリ同時多発テロでFacebookアイコンを「トリコロールに変える」ことと「変えない」ことの相違と相似



11月13日のパリ同時多発テロの追悼に関し「パリだけを追悼すればいいのか?」との意見が散見されています。私たちはどうすればいいのでしょうか?


◆パリの同時多発テロとパリ以外の数え切れないテロと空爆
132人の死者と349人の負傷者を出し、フランスでは戦後最大のテロ事件となった11月13日金曜日の夜にパリを襲った同時多発テロ。世界中で犠牲者を悼み、有名なモニュメントがフランス国旗であるトリコロール(自由、平等、博愛を意味する三色旗)で照らし上げられる一方、#prayforparisのハッシュタグがSNSに登場し、Facebookは一時的にアイコンをトリコロールに変える機能を実装しました。

少なからぬFacebookユーザーがこのテロ事件の犠牲者を悼みアイコンをトリコロールに変えていますが、同時に拡散されたのがシリア出身の女性アナウンサーのこの言葉でもあります。日本語訳されたこのツイートは2日間で17000回以上リツイートされています。






事実、パリ同時多発テロの前日にはレバノンのベイルートで43人が死亡し240人以上が負傷するという同時多発テロが発生し、パリと同様にISが犯行声明を出しています。また、7月17日にはイラクのバグダッドで86人が死亡し、100人以上が負傷する自爆テロが発生し、こちらもISが犯行声明を出しました。

もちろん世界的なニュースにならない小規模なテロやISによる襲撃、殺害事件は枚挙に暇がない程発生しており、それに加えてシリアのアサド政権による反対派住民への攻撃、アメリカ合衆国の無人機による民間人の「誤爆」に始まる有志連合軍の空爆などによる民間人の殺害事件も跡を絶ちません。

アラブ諸国でのこうした悲惨な事態が日常となっており、生活が破壊されて多数の犠牲者や難民が出ている状況と週末の夜を楽しむパリとの間には想像を絶するほどの深い断絶があるのは間違いありません。そして彼女が羨むように、世界から向けられる暖かい視線と差し伸べられる手の数が圧倒的に違うことも確かでしょう。

そうした違いへの疑問や違和感(であると同時に現実)を非常によく表しているのが以下のイラストで6000件以上シェアされています。このイラストの指を自分のものだと考えてみてもいいかもしれません。

This is how it is
#paris
#parisattacks

Posted by Truth Theory on 2015年11月15日


◆トリコロールに変えることの是非
では、パリのために祈り、アイコンをトリコロールに変えるのは間違っているのでしょうか?既にそうした論調はネット上の随所で見られます。「トリコロールに変えない」ことは「トリコロールに変える」ことよりもより良き、より思慮深き態度なのでしょうか?いいえ、それは違います。

人はどんな相手に対して喪に服し、あるいは哀悼の意を示すのでしょうか?それは圧倒的に近しい人に対してでしょう。世界中で毎日誰かが理不尽に死に、あるいは殺されていることは現実ですが、だからといって365日喪に服し続ける人はいません。

パリは世界的な都市であり、Facebookが広く普及する西欧社会や日本にとっても身近な都市です。パリに友人や家族が住んでいる人はもちろん、パリに住んでいたことがある人、旅行で何度も訪れて気に入っている人、フランスの芸術や文化に興味や愛着を持っている人まで考えれば、それは決して少ない数ではありません。

自分と関わりが深かったり、好んでいる国や街、場所で悲劇が起こった時に悲しみを感じ、哀悼の意を示すのはごく自然なことです。近しい人の葬儀に参列する人に「世界中で理不尽に人が死んでいるのにお前は近しい人の死にだけ涙を流すのか」と問い詰める人がいないように、パリのテロに心を痛め、祈りを捧げ、アイコンを変える人を想像力が足りないとなじるのは全くのナンセンスと言う他ありません。

それと同時に、シリア出身のアナウンサーが述べている内容も厳然たる事実として目の前に横たわっています。パリが味わったような恐怖を中東の紛争当事国に住む人々は日常生活の一環として味わわざるを得ない状況に置かれています。

そうした人々の脅かされている生命と生活を見過ごしていいのか?決していい訳はありません。パリで発生して許されない事件は世界中のどこであっても許されていいものではないでしょう。世界のどこの誰であろうと、生命や生活を脅かされずに平穏に日常生活を営めるべきですし、それに関しては住んでいる国や地域で格差があってよしとすべきではありません。これもまたまったくもって間違いではありません。

では、そのふたつの態度は共存できないのでしょうか?自分に近しいパリの悲劇を思い追悼することは、世界中の人々がこうした悲劇に合わずに暮らしていけることを祈ることと矛盾するのでしょうか?

結論から言えばこれらは全く別の話です。どちらもそれぞれ祈ればよいだけの話です。どちらかに祈りを捧げたらもう片方には祈れない、祈ってはいけないということは断じてありません。

◆祈りだけでは世界は変わらない
そして問題は、#prayforparisであろうと、#prayforworldであろうと、祈っているだけでは世界は変わらないということ。もし祈りで変えることができるものがあるとすれば、それは自分だけです。祈りによって変わった自分が世界に対して行動してはじめて、微力であれ実際的な働きかけとなります。

ですから、どちらにせよその祈りが単なるファッションなり「空気」の消費でない真摯なものであるのなら、そこから何らかの行動が生まれてくるはずです。パリの犠牲者への支援であれ、パリ以外のテロや紛争の脅威を受けている人々への支援であれ、もっと大きなテロを生み出す構造を変えるための行動であれ。

そうした実際的な行動になんら繋がらず「私には祈ることしかできない」と嘆いてみせるだけならば、それこそ「その祈りは何だったのだ?誰のためのものだったのか?」という話になってしまいます。

ただし、実際問題として私たちはこの悲劇から学ぶきっかけを得ています。この同時多発テロが許せない悲劇であると同時に、こうした許せない悲劇が今も世界のあちこちで繰り返し発生し、殺されたり苦しんでいる人が大勢いるということを私たちは既に知っています。

映画監督のギレルモ・デル・トロはこのテロに絡み、シリアなど中東からの移民について以下のように発言しています。




「全ての移民がまとめて憎悪の対象となることがないよう祈っている。彼らの殆どはテロを起こしに来ているのではなく、このようなテロから逃れようとして来ているのだから」



また、イギリスの学生のこちらのツイートは7万回以上リツイートされています。




「パリへのテロ攻撃で難民を非難している人々へ。難民はテロから逃れようとしている人々だということが理解できないのか?」



パリへの同時多発テロを「パリにだけ起こっている悲劇ではない」と考える人は、テロや紛争というおぞましい日常から逃れてきた難民にも、パリの犠牲者や残された市民たちに接するのと同じように接していただきたいものです。でなければアイコンをトリコロールに変えることを批判したのと同じ理由で今度はあなたが批判されることとなるでしょう。

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