クジラの知性が私たちの近代史にも少なからぬ影響を与えていた可能性がありそうです。詳細は以下から。
◆マッコウクジラが捕鯨船の攻撃パターンを情報共有
ジャーナル「Royal Society」に新たに掲載された研究では、デジタル化された19世紀の捕鯨船の航海日誌を紐解き、北太平洋でのマッコウクジラの捕鯨の記録を解析しました。
その結果によると、ある海域で捕鯨が始まってから最初の数年のうちに、捕鯨用の銛の命中率が58%も低下していたことが分かりました。
ただし最初の1頭への命中率の低下はあまり見られず、攻撃が認識されたのちの回避行動が変化していました。これはマッコウクジラが捕鯨船の攻撃パターンの情報を群れの中で共有し、効果的な回避方法を編み出したことを意味します。
捕鯨が本格化する前のマッコウクジラの天敵はシャチだけでしたが、対シャチの防御行動は捕鯨船に対して無力でした。ですが、短期間のうちに帆船からの銛の攻撃に対し、風上に逃げるように学習していたのです。
これは遺伝的な淘汰や適者生存ではなく、文化的な習得と考えなければ説明がつかないスピードであると研究では指摘しています。
◆黒船来航にも影響?
ペリー提督の「黒船来航」は日本では大事件でしたが、その主目的は捕鯨船の物資補給用の寄港地の確保でした。これは産業革命により、マッコウクジラの鯨油が工場での潤滑油やランプの灯りに用いられるなど需要が増大していたため。
今回の発見と併せて考えると、マッコウクジラの回避行動の学習により、必要な頭数を捕るためにより捕鯨海域を拡大する必要があったという背景が透けてきます。
もしマッコウクジラがここまで素早く捕鯨船の攻撃パターンを学習して群れとして共有し、回避できるようになっていなかったら、日本の開国に至る歴史のタイミングは少なからず変化していた可能性もあります。
当然そうなれば、数年単位で大きく勢力地図が動いた19世紀の帝国主義時代において日本がどのような運命をたどったのか、その行き着く先も変化していたかもしれません。
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