福島第一原発から10km圏の避難指示区域は今どうなっているのか実際に見てきました



2013年5月28日0時に福島第1原発事故に伴う立入禁止の警戒区域は全て解除されました。それから3ヶ月が経った現在、現場の状況はどのように変わってきているのでしょうか。レポートします。



2011年3月11日の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故。第一原発から半径20km圏内が警戒区域に指定され、立入禁止になっていましたが、2013年5月28日0時にこれらが全て解除。放射線量によって原則立入禁止の帰宅困難地域と、居住制限区域、解除準備区域に分けられています。

時事ドットコム:【図解・社会】警戒区域解除後の避難指示区域(2013年5月27日)

今回訪れたのはいわき市から国道6号線を北上した楢葉町(2012年8月解除)と富岡町(2013年3月解除)。桜の名所として知られる富岡町、夜ノ森から先は通行止であることが示されています。


Jヴィレッジ近くにある「道の駅ならは」は休館中。福島第一原子力発電所からほぼ20km地点です。ここよりも南の広野町側では営業しているお店もちらほら見かけます。


この辺りから半壊したまま放置された家屋を目にするようになります。


さらに進み、第一原発からおよそ7km地点に設置されたチェックポスト。ここから先は通行証のない車は立ち入れません。


第一原発に向かうトラックやバスが次々と通ります。


富岡町の津波に流されていない内陸部。コンビニを始めとした商店は閉鎖されたまま。


閉鎖中の常磐道富岡IC近く、川内村に向かう県道36号線沿いのコンビニも閉鎖中。大型車が何台か停車していました。現在川内村まで抜けられるようになっています。


この付近には原則立入禁止の帰宅困難区域が点在しています。


柵で封鎖されていますが、もちろん監視するひとはいません。


最低限の補修はされていますが、塀は崩れたまま、道路は荒れたままの場所が多いのが現状。それでも時折現地ナンバーの車を見かけます。



看板が崩れ落ちたままの商業施設。手が入った後はありません。


富岡町内で営業しているガソリンスタンドが1軒だけありました。


歩道橋にかけられた「富岡は負けん!」の横断幕。この状況でも信号はほぼ全て正常に動いていました。


JR富岡駅周辺。津波被害にあった地区です。



雑草が生え放題の状態で放置されているJR富岡駅。


津波の激しさを今もまざまざと残しています。



津波で道路に流れでたままになっている家屋。


海沿いの半壊したホテル。


奥に見える煙突は福島第二原子力発電所のもの。



津波で押し寄せたガレキがそのままに、雑草が生い茂っています。


線路もほとんど見えない状態に。


少し南下した楢葉町内では除染作業が進められており、道端に除染済みの土を入れる袋が並べられている光景を見ることができます。



ポールが津波で曲がったままに。奥に見えるのは楢葉町との境界沿いに位置する広野火力発電所。


津波で決壊した堤防は現在も修復されていない部分がありました。


今回訪れた楢葉町と富岡町の居住制限区域、解除準備区域はまさに「死の町」としか言いようのないほぼ無人の状態が現在も続いています。信号こそ点灯していましたが、インフラ、商業施設、行政サービスなどは機能していません。2年間放置された建物も、自信や津波の被害を大きく被っていなかったとしてもそのまま住める状態ではありません。

放射線量の高さはもちろんですが、この場所に住むとなった場合、考えなければならない問題があまりにも多く積み重なっているのが現状です。

加えて、汚染水流出問題を始め、第一原発事故の収束も先が見えない状況が続いています。この場所を復興するという時に、どのような人がどのような生活をすることを前提とするのか、そこから考えなければならない状況と言えます。

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