日光と言えば世界遺産の日光東照宮が有名ですが、日本を代表する「負の遺産」もあるのです。詳細は以下から。
「日光を見ずして結構と言うなかれ」という格言もある栃木県の日光。世界文化遺産に登録された日光東照宮に二荒山神社、輪王寺などの建造物はもちろん、勇壮な華厳の滝に美しい中禅寺湖、古い逸話の残る戦場ヶ原に聳え立つ男体山をはじめとした日光連山など、修学旅行のメッカとして京都にも引けを取らない見所がずらりと並びます。
しかし平成の大合併が起こり、2006年3月20日からこの日光市に足尾町が加わることとなりました。そう、日本初の公害事件として社会科の授業で習うあの「足尾鉱毒事件」の足尾町です。名前は知られながらも、日光の一部でありながらもなかなか訪れることのない足尾銅山の中に実際には入れる「足尾銅山観光」を訪れてきました。
足尾銅山観光は400年続いた足尾銅山が1973年に閉山した後、1980年にオープン。実際に使われていた坑道にトロッコで入り、そこから坑道の中を歩いて江戸時代からの採掘の様子の移り変わりを見学することができ、最後の資料館では採掘と銅の精製の工程を学ぶことができます。
足尾銅山観光があるのは国道122号線からわたらせ渓谷鉄道の通洞駅付近で渡良瀬川を渡ったところにあります。自動車では基本的に日光自動車道の終点、清滝インター側から南下するか、群馬県桐生市の国道50号線から122号線に入り北上するかの二択となります。どちらから行ってもそれなりの時間は掛かります。大きな無料駐車場が入り口にあるのでそこは安心です。
門を潜るとまず出てくるのがこの横断幕。世界遺産への登録を目指しているとのこと。確かに意義深い遺産と言えるかもしれません。
購入するのは入場券ならぬ「入坑券」。大人820円となっています。
トロッコは15分間隔で9時から16時半まで。
ステーション内では足尾銅山の歴史や鉱物、採掘器具などをダイジェスト的に展示しています。待ち時間に見るにはちょうどいい量です。
こちらがトロッコ列車。雨よけが付いていますが、雨天だったためというより坑道内の水滴のためかもしれません。
BUZZAP!取材班の他にはひとグループのみ。長期休暇期間中はもっと賑わうのでしょうか?このトロッコ内での運転手さんの説明の中で「足尾鉱毒事件」という言葉を聞きましたが、次にこの単語に触れるのはずいぶん先になります。
いよいよ坑道に入ります。
数百m進むと坑道内の駅に到着。
すぐ奥が閉鎖された坑道への入り口になっています。この先6.5kmに渡って坑道レールが続いており、上下に1kmを超える高低差で何層ものレイヤーになった坑道が張り巡らされており、その総延長は1200kmにも及びます。これは東京から博多までの距離に相当するとのこと。気が遠くなるほどの「巨大迷宮」です。残念ながらというか、当然ながらというか、関係者以外はこの先には進めません。
スポットライトで照らされた先の闇が400年の鉱山の歴史を思わせてくれます。
駅のすぐ手前の横道の坑道が見学路となっており、そちらに進みます。
まずは江戸時代の採掘の様子から。それぞれの人形のところにはボタンがあり、押すと声優による当時の様子を再現した会話が流され、その後説明が入ります。この会話がなんというか、「天空の城ラピュタ」の冒頭の鉱山の街での坑夫たちの会話を彷彿とさせるのです。パズーのいたあの鉱山でも男たちは坑道の中でこんな会話をしていたのではないかと。映画の中ではあくまで序盤の舞台として描かれていましたが、ここを見学しているとあの鉱山の街のリアリティがどんどん増してきます。
手掘坑夫、負夫、水替人夫など、細かく仕事が分かれているのがよく分かります。
代官所の役人の姿も見られます。音声は実際はエグかったのかな…と思わされるやりとりでした。
坑道の中はひんやりと涼しく、時折天井から水滴が降ってきます。もちろん女の子は降ってきません。
明治・大正エリアに。一言だけ「公害問題」と書かれています。
削岩機が導入されています。
ここからは昭和エリア。
ヘルメットに作業服が標準装備になっています。
その先に行くと唐突に明るい資料館に。ドゴビール式軽便鉄道や銅のインゴット、アノード板など、なかなか見られない展示が。さらに選鉱や精錬の過程についての展示もあります。
その後、最後の出口付近の「足尾銅山のあゆみ」の年表のパネル展示のところでようやく足尾鉱毒事件と田中正造について触れられています。
外に出ると削岩機に触れるコーナーがあったり、トロッコが展示されていたりします。
こちらは足尾銅山の銅を使って鋳造された貨幣についての資料館。実はこちらもかなり面白いのでお見逃し無きよう。
なかなかちゃんと学ぶ機会のない江戸時代の貨幣制度。こうしてみると一両の価値がよく分かります。
出口のお土産屋さんと食堂の入っている建物。「銅もありがとう、また銅ぞ」。
なかなか素敵な昭和レトロ感です。
なお、この足尾銅山観光から北上して県道250号線に折れて進んでゆくと足尾銅山を経営していた古河機械金属(当時の名前は「古河鉱業」)の足尾事業所が鎮座しています。足尾銅山観光で足尾鉱毒事件と田中正造についての展示が極めて控えめだったのはこの辺りが関係しているのかと、ふと邪推してしまいます。
何ともレトロというか雰囲気のある工場と煙突です。
その先に行くと松木山というかつての禿げ山に行き当たります。現在は緑化作業が進み、ある程度緑に覆われるようになっていました。栃木県出身の筆者は90年代にもここを訪れたことがあるのですが、その頃はまだ思わず絶句するような見事な禿げっぷりだったことを覚えています。あれから20年近くの努力が実りつつあるのは間違いありません。
日本人が社会科で必ず習う足尾鉱毒事件と田中正造は、その現場となった足尾ではなんとも影の薄い存在でした。同じ史実であってもどの情報を取り上げ、強調し、もしくは取り上げないことで全体のイメージが全く違ったことになるのを実感するのはなんとも興味深い体験でした。
もちろん実際に鉱山でどのように採掘が行われ、商品としての銅に精錬されてゆくかという過程としても面白く、本物の坑道を歩く体験も他ではなかなか味わえないもの。ラピュタ好きにも個人的にはオススメできる内容となっています。
なお、足尾銅山は現在「負の遺産」として世界遺産登録を目指しています。栃木県日光市による世界遺産暫定一覧表追加記載提案書では
足尾銅山の建造物群は単なる近代産業の記念物ではない。公害反対運動の中軸となった渡良瀬川下流域の遺跡等とともに、その景観は20世紀の縮図であり、我々人類が21世紀になすべきことを示している現在進行形の遺産なのである。
(足尾銅山の世界遺産登録をめざして - 足尾銅山の産業遺産概要より引用)
としています。足尾銅山観光の展示内容を見るに、現状の「近代産業」の盛衰という視点が大半を占めており、「公害」や「公害反対運動」という視点があまりにも少ないと言わざるを得ません。真に「20世紀の縮図(実際は19世紀末から)」としての世界遺産登録を目指すのであれば、両面からのアプローチが必須となってくるでしょう。
公害対策背負う「古河」 製錬で栄えた負の遺産 _ 地域 _ 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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