NOON裁判から見えた「ダンス営業規制」の驚くべき実態「どう考えたらいいの?ダンス営業規制問題」レポート<後編>



4月4日に開催された、現在進行中の風営法改正運動とNOON裁判を巡るシンポジウム「どう考えたらいいの?ダンス営業規制問題」。NOON裁判の中で明らかにされたダンス営業規制の驚くほど曖昧で杜撰な実体について報告が行われました。詳細は以下から。


風営法とNOON裁判を巡るシンポジウム「どう考えたらいいの?ダンス営業規制問題」レポート<前編> BUZZAP!(バザップ!)

「ダンス」とは何か?もちろんその答えは人それぞれでしょう。でも、それが司法の現場である法廷であるならば、そして「客にダンスをさせる営業」を摘発する警察官によるものであるならばどうでしょうか。明確な回答が示されなければなりません。

NOON裁判で争われた「ダンス営業規制」とはいったいどんなものなのか。警察や検察はいったい何を「ダンス」と認識し、「客にダンスをさせる営業」をどのように取り締まったのか。NOON訴訟弁護団の主任弁護人により、実際に法廷での証言から明らかにされました。

司会:
最初からNOON訴訟の主任弁護人として関わっていただいている水谷弁護士にお話を伺います。まず摘発当時、捜査機関は何を見てどのように判断したのか、いろいろな方の証言から明らかになってきました。摘発当時のお店の状況、お客さんの様子などについてお話いただければと思います。


水谷:
この訴訟の中では18人の証人に証言を頂きました。お客さんが5人、NOONのスタッフが3人、警察官が7人、それに加えて今回登壇しておられる3人の学者の皆様です。加えて被告人である金光さんへの質問によって明らかになった当時の状況をご説明いたします。

そもそもNOONに警察が目をつけたのは摘発の概ね1年ほど前のことでした。当時ミナミのクラブに集中的な摘発が集まっていたのですが、府警本部に1本の匿名通報が入ります。

「なんでミナミのクラブばっかり潰すんや。NOONじゃ女子高生が土曜日に来て酒飲んどるぞ」

という通報がきっかけだということでした。しかし2年前の4月4日午後9時43分に警察がここに踏み込んだ時、このフロアには未成年はひとりもいなかった。少なくとも警察は何も確認しなかったし、そもそも未成年がいるかどうかすらチェックをしなかったということが法廷で明らかになりました。

当日は夜の7時半位から「British Pavilion」というタイトルのロックイベントが行われていました。7時半にスタートした時にはまだお客さんは数人で、フロアも本当にまばらだったそうですけれども、潜入捜査員が2人1組で少しずつ入ってきて、摘発直前には潜入捜査員が概ね10人位このフロアにいたということです。

その捜査員を入れてもフロアにいたお客さんは30数名程度。お客さんが法廷でも証言されていたんですが、どうもノリの悪い一団がおる。どうも人相の悪い一団がおる。DJが頑張っても頑張っても全然アガっていけへん奴らがおる。「あいつら何やろな」って言ってたら実は警察官だったということのようです。

当時はDJがロックミュージックを流していて、まさに摘発の瞬間に警察がトラメガで「音楽を止めろ!」と叫んでいた瞬間にかかっていたのはSuedeの「Trash」という曲だったということが証言で明らかになりました。

Suede - Trash - YouTube

(編集部注:歌詞はコチラ、日本語訳はコチラから)

じゃあその時お客さんはどんなことをしていたのか、この法廷で5人に対して尋問が行われました。この法廷の中でお客さんに対して「その時右足はどこにおいていたんですが」「次に左足はどうしたんですか」「その時肘はどの辺りにありましたか」「手首はどの辺りにありましたか」「首はその時どれくらい動いていたんですか」こんな滑稽な尋問が行われました。

これは何をやっていたかといいますと、風営法2条1項3号の条文で読みますと「客にダンスをさせ」という文言があります。金光さんが店のオーナーとしてお客さんに何をさせていたのか、「ダンスをさせていた」ということが証拠上認められるのかを追求するために行われた証人尋問でした。

ではここで言うダンスとは何か。ダンスといえば皆さん思いつかれるものがいろんなものがあると思います。HIP HOPダンスやジャズダンスもあれば、幼稚園のお遊戯だってしっかりやってればダンスです。あらゆるダンスが含まれるとなればこれは全く無意味な条文になりますから、実は裁判が始まる前に我々は検察官に対して「ここに書いてある『客にダンスをさせる』というのはどういう意味か説明しなさい」と要求したんです。

そこで検察官が言ってきたのが「風営法2条1項3号に言うダンスとは、男女間の享楽的雰囲気を醸成し、性風俗のびん乱など、社会の風俗に影響を及ぼす可能性があると社会通念上認められる舞踏である」というものでした。「いわゆる社交ダンスのように男女一組で踊るものに限らず、タップダンス、ディスコダンス、その他種類および様式も問わない。これが風営法2条1項3号に書いてあるダンスという言葉に含まれているものだ」というのが検察官の説明でした。

ですので、我々としてはお客さんがそうした「男女間の享楽的雰囲気を醸成し、性風俗のびん乱など、社会の風俗に影響を及ぼす可能性があると社会通念上認められる舞踏」をしていたかどうか、ということを法廷で問うたわけです。

そこで結局出てきたのは、例えば肩幅程度に横にステップをしながらリズムに乗る、あるいはかかとを上げて体を上下しながら、あるいは音楽のビートに合わせて頷きながら、音楽を聴く。5人のお客さんは皆そのような証言をしました。

先ほど高山先生のお話にもありましたが、男女間が密着するようなダンスが元々規制対象だったという観点から、お客さん同士の距離感はどのくらいだったのかというと、せいぜい30cmから50cm、あるいは1mくらいの距離ですと。それくらいの間が開いていた。暗さも4,5m先の方の顔が見えるくらいの暗さだったと。

我々としてはこのようにお客さんが実際に証言なさったその時、どんな動作をしていたのか、本当に警察官が言うような性風俗秩序を乱すようなダンスだったのか、男女の間で享楽的な雰囲気、いかがわしい雰囲気を自然に醸し出してしまうようなダンスだったのか、ということを問うていったわけです。

司会:
1年以上前の潜入捜査から始まり、摘発当日も捜査員が多数入っている状況の元で、捜査員はどういった状況をもって、風営法上の「ダンス」と認識したのか。裁判の中で明らかになってきたかと思うのですが、いかがでしょうか?

水谷:
警察官が7人法廷に来られて、摘発に当たり、いったい何をもって「違法にダンスをさせていた」と判断するのか、警察の中でどのように認識されていたのかを法廷で証言されました。

法廷での証言によると、事前に皆さんで打ち合わせをしたそうです。年配の警察官らが集まって、みんなでステップ踏みながら「どれくらいの幅のステップだったらダンスになるのかな」ってことを相談されたそうです。

その際には、何の根拠もないと困るんだということだったのかもしれませんが、府警本部から何をもってダンスをさせていると判断できるのか、根拠となる資料が欲しいということで取り寄せをされたそうです。

何をもってダンスと評価するのかというと、ある警察官は「ステップを踏んでいたら○」「腕を振るのも○」「頭を振る○」「腰をくねらせる△」「リズムを取るために軽く上下運動をするは×」というように資料には書いてあったと証言しました。

ところが、次に出てきたその警察官の上司に当たる警察官は「ステップを踏むは×でしたね」と仰ったんです。一緒にこのNOONに摘発に来た上司と部下の間ですら何をもってダンスと見るのかということに対して、一番基本的なステップを踏むのか踏まないのかというところでもぜんぜん違うことを仰ってたんです。

なぜこんなことが起きるのか。結局のところ法律の中には何を規制対象とするのかが明確に書かれていない。だから警察も何を取り締まったらいいのか、何を摘発したらいいのかがよく分からないまま、現場判断でやっていたことのが明らかになったと考えています。

最終的にはステップを踏むことを×と仰られた上司の方は「この○×表はただの参考資料にすぎない。最終的には現場で私が判断する。音楽にノッてお客さんが楽しくリズムに乗って踊っていたらもうそれで享楽的」とまで仰りました。

これは明らかに風営法の目的規定とも大きくずれている。楽しく踊っていたらそれだけで違法と言ってしまうに等しいですから、とんでもない解釈です。しかし警察官がこのようなことを言ってしまうのも、それを基準に実際に摘発をしてしまうのも、結局はやはり法律が極めて曖昧すぎて、何を摘発とするべきなのかが明確になっていないから。これが根本的な問題なんだろうと法廷を見ていて強く感じました。


司会:
結局どういったダンスなら摘発できるとかできないといった内規というか、客観的な決まりや基準はないということでしょうか。

水谷:
そうですね。我々も「ないんでしょう?」と聞いたら警察官も「ないです」とはっきり言ってしまったんですね。「客観的な基準はないんです。私が良識に則って判断します」と。なかば開き直っておられたと思うんですけれど、警察官の方自身も説明しようがなかったんだろうなと思います。

それ程に我々は曖昧な規定で、しかもこれに反すれば刑罰を科させるという、極めて恣意的な法規制の中で、これまでクラブが営業を続けてきたということが改めて明らかになったと思います。

司会:
逆に取り締まる側の末端の警察官にとって、これは非常に曖昧な基準しかないということは彼らにとってはどうなんでしょうか?

水谷:
やはり彼らにとっても、法律がある以上は仕事をしなければならないけれど、一体何をすれば適切な仕事と言えるのかが明確でない以上、きちんとした仕事ができないという意味では彼ら自身も犠牲者なんだろうと思います。

我々はダンスフロアなどの設備を設けてダンスをさせる営業をしていたという条文がありますから、じゃあダンスフロアなどの設備を証拠上どのように確認したのかを追求しました。

そこで結局、このフロアの見取り図の寸法が、2mのところより5mのところが短かったりとか、椅子や机が置いてあるところがよく分からなかったりとか、「ダンス営業に絶対必要な設備って何ですか?」「スピーカーです。」「この図の中のどこにスピーカーが描いてありますか?」「描いてませんね」とか、そんな杜撰なことになったのも、何を取り締まるべきなのか、何をもって違反とすべきなのかがはっきりしなかった。だから彼らが現場で迷いながらやってしまったというのが実情なんだろうと思います。


司会:
法的な点で水谷弁護士に引き続きお話を伺いたいのですが、NOON訴訟弁護団は人権を侵害しているという、憲法違反だとの主張も立てていたと思います。その点についてこのNOONの摘発について、具体的に誰のどんな権利がそこで侵害されていると考えられるでしょうか。

水谷:
我々はこの裁判で憲法上の主張として3つの主張をしました。ひとつ目は表現の自由を侵害している。ふたつ目は営業の自由を侵害している。そしてみっつ目は適正手続違反。つまり法律上、刑罰を加える法規というのは明確にだれでも分かるように定めていないといけない。この憲法の要請に違反しているという主張を述べました。

このうちの表現の自由に関して言いますと、我々が主張したのはこのNOONを経営していた金光さん、そしてスタッフの皆さんの表現の自由です。彼らはこのNOONが魅力ある場所であるために魅力あるDJ、VJ、アーティストらを呼び、新しいもの、魅力あるものを発信しようというプロデュースをされてきたわけです。このプロデュースには当然ながらオリジナリティがあります。

当然個々のアーティストという発信者はいて、それぞれの表現の自由というものもあるのですが、それを組み合わせることによって新しい魅力を生み出し、このNOONが新しいものに触れられる場所として機能する。そういう場所をプロデュースするというのも広い意味での、あるいは革新的な意味での表現であろうと。それを売春とは繋がりもないのに売春規制を盾にしてその表現を制約するのは表現の自由に対する過度の侵害であって許されないというのがひとつ目の主張です。

次はアーテイストの表現の自由です。もちろんここに出てくるアーティストのみなさんにとってNOONというこの場所で表現を行うということが大きく制限されるという問題があります。さらに言うならば、大きなホール、大阪ドームや武道館で実際にアーティストとして表現活動ができるのはほんの一握りの方です。そうした有名アーティスト達も最初から武道館でできたかというとそうではない。彼らもこういう小規模なクラブやライブハウスで、場合によってはお客さん数人の前で表現活動をする、そしてより魅力的な表現を磨いていくという試行錯誤をまさにこういう小バコでやってきたわけです。

なのでこうした小バコの営業規制をしてしまうということは、そういうアーティストが育つ場、苗床を奪うに等しい。そうなった時に果たして豊かな文化の基盤というのは維持できるのだろうか。できないと思うんですね。そういう意味ではアーティスト個人の自由はもちろん、文化基盤そのものも侵害していることになるという主張をしました。

さらにはお客さんの自由です。なぜお客さんがここに来るのか。それは新しい表現に触れ、そしてその新しい表現をするアーティストとコミュニケーションをする、あるいは表現者を好む人同士のお客さん同士のコミュニケーションです。そこでまた新しい繋がりができ、コミュニティができていく。そういうことを期待してここにはお客さんが集っていると思いました。そういう場を規制して潰していくのは、表現を好む人同士のコミュニティの場を潰すことにもなりかねない。そういう意味では表現を享受する側の自由をも侵害するのだということを主張しました。

司会:
新井先生にお伺いしたいのですが、「表現の自由」と言った時、この訴訟が始まった当初から、警察庁も見解として出しているように「ダンス規制法はあくまで営業を規制するものであって、ダンスなどの表現を規制するものではないのだ、表現規制に対してはこの法律はあくまで中立的であって、あくまで営業規制なんだと」いうことが色んなところで意見として出されました。

この点について新井先生には意見書の中で表現の内容についてもやはり規制の対象だということを仰っていただいていますが、それについて噛み砕いた話をご説明いただけますでしょうか。

新井:
まず皆さんが考えているように、確かに表面的なものとしては営業の自由の規制であって表現の自由の規制ではないと思われるかもしれません。ですが、例えば、映画館と映画監督とそこに来るお客さんの間の関係や、文芸誌と小説家とそれを読む人の関係と同じように考えてみると、そこにはやはり全体として、その3者がいて成り立つコミュニケーションがあると思います。

民間が経営する映画館を公権力が何かしらの形で潰そうとすることがあったとした場合に、それが表現の中身を規制しているわけではないとしても、そこで映画館を開いてはならないとなれば、それによって映画を上映してもらう映画監督やプロデューサー、あるいはそういったものが世の中にあるんだと知る場を我々は失うことになる可能性がある。

映画館の問題に置き換えてみると多くの人はこれが表現の自由の問題だと入ってくると思うんです。それに対してダンスはどうかというと、私はパラレルに考えることができるのではないかと思う。コミュニケーションの場としての重要性があって、それに対する制約であるからこれは表現の自由として捉えることができるのではないかと考えます。


司会:
どこでもダンスができるから、これはダンスを規制しているわけではないのだと、どこでもダンスができるからいいんじゃないかという乱暴な議論がなされていましたが、それに対してそこの場でしかないコミュニティ、文化発展の場としての重要性ということになりますでしょうか。

新井:
ダンスをできればいいじゃないかという問題ではないと思っています。やはりその場の性格は重要ではないでしょうか。一定の場で、いい音楽家を連れてくる人たちがいて、そこでこんな文化発信をしているということが知られ、それに興味があって生の音を聴きながら気分良くなりたいという、そういった意味があるわけだから。

例えば、それは家の中でダンスしてればいいじゃないかという話と一緒で、他者との総合的なコミュニケーションが行われていることに非常に意味があるのではないか。

司会:
風営法は立法当初から既に30回以上改正が重ねられていますが、その他のいろいろな法律が整備されてきている中で、未だにこのダンスをさせる営業の3号営業に当たるとなると許可制というものが未だに維持をされています。

許可制というのは厳格な規制だと理解を法律学上ではするわけですが、今現在考えられる風営法の立法目的と、厳格な許可制を取るということの合理性はあるのでしょうか。

新井:
営業の自由で考えても表現の自由で考えても、あらゆる営業は、場合によっては一定の規制を受けることはやむを得ない状況はあるかもしれません。例えばお酒を出す営業だったり、衛生面の管理や建物の防火の基準を満たしているかなどの意味合いでの許可などの一定の規制は意味があると思います。

ただし今回のような、ダンスをさせるということに注目して許可制を敷いているのはあまりにも強すぎる規制ではないかと思います。そもそもの規制目的というものが現状においては相当合理性を欠いているということがあるわけで、そうだったらその他の形での個別具体的な形での、売春や麻薬、暴力を取り締まればいいだけです。この観点で広範に規制をするというのは今の段階では不合理と思う他ないです。

司会:
売春や賭博が当初から貫かれている立法目的としてあるという中で、風営法ができた戦後まもなくの時期から各種法律が整備され、その中で売春防止法が整備されて売春が一定の規制化に入るということになっているわけです。こうした状況のもとで果たして風営法が存在意義があるのか、実質的処罰根拠ということから考えていかがでしょうか。

高山:
実質的処罰根拠がないものは処罰してはいけないというのが最高裁の考え方です。風営法のダンス規制は戦後直後に制定されたもので、その後いろいろな問題に対する個別の法律が整備されています。

売春防止法は風営法の8年後に制定されまして、これで直接的に売春に関連する行為を規制して処罰していこうという体制ができました。それから薬物犯罪についても覚醒剤や麻薬が取り締まられるようになっていますし、その他騒音規制や廃棄物の規制、青少年保護の法律や条例なども次々と整備されていったわけです。

では風営法には何が残っているのだろうというとダンスが残っているんですが、ダンスの何が悪いのかということが今問題になっているわけです。

ダンスをする人が集まっていることに悪いイメージを持っているとすれば、喧嘩や薬物乱用を始めゴミを捨てるんじゃないか、や騒音を出すんじゃないか、子供が夜遅くまで遊ぶんじゃないかという心配をされている方が多いかもしれませんが、それらの問題は全て、それらを直接ターゲットにした法令で規制されているわけで、ダンスに残っているものは最早何もない。

例えば、ある場所でAさんはビールを飲み過ぎて暴れました。Bさんはチューハイを飲み過ぎて暴れました。Cさんはハイボールを飲み過ぎて暴れました。それは大変だから規制を使用ということで「炭酸を飲むことを禁止した」。本当はアルコールが悪くて炭酸は悪くないのに、何か付随するものが悪いような錯覚を起こしてしまって、炭酸が悪いんだというような話になってしまう。ダンスが悪いという人もそのような錯覚に捕われているのではないでしょうか。


司会:
風営法の無許可営業罪は2年以下の懲役、そして200万円以下の罰金という比較的思い刑罰が科されています。刑罰というものである以上、何をやったらだめなのかということが事前に分かっていなければならないのではないかという関係で、この裁判の中で何が禁止されている、許可を取らなければならないダンスなのかということについての証言の曖昧さについて水谷さんに話していただきました。この点について刑罰を伴うダンス営業規制、刑罰の明確性という側面からするといかがでしょうか。

高山:
先ほど水谷弁護士が仰ったとおりですが、法律というものは一般の人達にやっていいことと悪いことを示して「これはやるな!」「これはやっていい!」と教えてそのとおりに市民の行動をコントロールしようとするものです。

だからやっていいものと悪いものの区別が一般の人々にとって理解できないものであれば、その法律は人々の行動の自由を過度に制約してしまう。憲法上の問題を生じる法律であるということになります。

先ほど紹介にあったように、そもそもダンスが売春の危険を生むのかということ自体も疑問ですが、仮にそうだとしてもどういうダンスが良くてどういうダンスがダメなのかが全く不明です。

何故かと言うと中学校でもダンスを義務化しているわけですよね。だから、ダンスをさせる営業の中には教育目的で正しいダンス教室もあるはずなんですけれど、一方では取り締まられているものもある。だけど警察官によって何を取り締まっていいのかというのは違っているということがこの裁判で明らかになりました。

警察官が自分の個人的な考えで自分が取り締まりたいと思ったら摘発して、放っておこうと思ったら放っておくというのは、国家刑罰権を警察官の個人の判断に委ねてしまうことになり、到底憲法上認められないものです。憲法で認められる刑罰法規というのは、やっていいことと悪いことの区別や根拠が一般市民にも納得できるものでないといけないという決まりがあります。



こうして、風営法のダンス営業規制の持つ曖昧さが、実際に風営法での摘発の現場で警察官が行った行為とその基準についての法廷での証言から明らかになりました。摘発する警察官も何をもって「ダンス」とするかの客観的な統一見解を持てず、捜査員の恣意的とも取れる「良識」で刑罰を伴った摘発を行うしかないというのが現在の風営法によるダンス営業規制の現場の状況です。

このような状況は果たして正常と呼べるのか、それとも是正すべきものなのか。そしてダンス営業規制は法律として憲法上妥当なものであるのか、ないのか。この問題に間違いなく大きな影響を及ぼすNOON訴訟は4月25日に大阪地裁にて判決がくだされます。

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