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2006年に安倍首相と胡錦濤国家主席(当時)が立ち上げた歴史共同研究の中で南京大虐殺が起こったことを正式に認めています。詳細は以下から。
2006年、就任したばかりの安倍首相は中国を訪問して胡錦濤国家主席(当時)と会談、両国は、相手側の「平和的発展」を評価するとともに、両国の責任は「アジア及び世界の平和、安定及び発展に対して共に建設的な貢献を行うこと」だと主張し、その一環として日中両国の研究者が未来志向の日中関係の枠組みの下で歴史共同研究を実施することになりました。
この歴史共同研究では日中からそれぞれ10名の研究者を選出、共同研究委員会を組織して古代・中近世史と近現代史の研究テーマを決定し、論文が執筆されています。
そして2010年1月31日に両国の研究者によって自国語論文(報告書)が発表されました。この際の日本語論文の270~271ページには南京大虐殺についての記述が存在しています。少し長いですが引用します。
中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38年1月4日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった。
虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。戦後、極東国際軍事裁判で松井司令官が、南京戦犯軍事法廷で谷寿夫第6師団長が、それぞれ責任を問われ、死刑に処せられた。
(第2章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 より引用)
この項の執筆は波多野澄雄 筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(当時)と庄司潤一郎 防衛省防衛研究所戦史部第1戦史研究室長(当時)によって行われています。
南京大虐殺否定論を唱える歴史修正主義者は、安倍首相が立ち上げた歴史共同研究の中で、安倍政権に選出された日本人研究者が南京大虐殺を(犠牲者数に開きがあることを認めながら)事実として記述しており、名実ともに日本政府と中国政府が共有する歴史として厳然と存在していることをどう考えるのでしょうか?
特に安倍晋三の後援会「安晋会」の副会長を努めるアパグループ代表は、全力で支援する安倍政権が南京大虐殺という歴史を中国と共有していることが、自らの著書での主張との間に決定的な齟齬を生じさせていることについてどのように認識しているのでしょうか?非常に気になるところです。
外務省_ 日中歴史共同研究(概要)
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