【レポート】「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」京都の呼吸の速度に包まれる体験



6月3日に始まったブライアン・イーノ展「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」に行ってきた。

ようやくあの体験を少し消化できたような気分になったので、レポートを記してみようと思う。

ただし他のレポート記事やSNS上ですでに語られており、動画も載せられているため、展覧会の内容については特に触れない。

音楽鑑賞ではなくアートの体験である


ブライアン・イーノといえばアンビエントミュージックの創始者として世界的に知られる音楽家である。

だから今回のイーノ展もイーノの音楽を鑑賞するものだと考える人もいるかもしれない。

もちろんイーノ展はイーノの音楽で満たされている。それこそ階段からラウンジからトイレまですべてが満たされている。

だが、イーノ展は決して流れている音楽を鑑賞するための展覧会ではない。いや、それだけにとどまらないと言った方が正確か。

石野卓球はTwitterで「観賞ではなく体験」と形容していたが、これは訪れた多くの人が感じることだろう。


観賞は絵画にせよ映画にせよ音楽にせよ、観賞する自分と観賞される対象が厳然と分かたれている。そこには完結し、完成された作品の存在がある。

体験はもっと自分がその空間に没入し、参加するものだ。イーノ展では訪れた人が作品の中を歩き、座り、立ち上がり、回り込み、覗き込むことができる。

そしてそのように作品が作られている。音楽にくわえて映像、光、造形、空間そのものもインスタレーション作品として作り込まれている。

イーノの今回の作品の中には、体験する私たちの認識自体までもが作品に組み込まれているものすらあるのだ。

会場として選ばれた京都中央信用金庫旧厚生センターという建物と、その内部のひとつひとつすらも作品の一部だ。


トイレ、ラウンジ、廊下、階段、普通ならば作品と作品の隙間であるこれらの空間も音で満たされ、イーノ展という総体的な作品を構成している。

京都でなくてはならなかった理由


ブライアン・イーノの展覧会といえば、2006年のラフォーレ原宿で開催された「“77 MILLION”an Audio Visual Installation by BRIAN ENO-ブライアン・イーノ音楽映像インスタレーション展」を思い出す人も多いだろう。

当時筆者も訪れて存分に堪能したが、今回はなぜか東京ではなく京都での開催となった。

いったいこの理由は何だったのか。それは体験の速度の綿密な調整なのではないかと考える。


イーノ展を訪れてまず感じたのが、この展覧会は東京では決して開催できないということだ。

ダリ展でも若冲展でも思い出してみればいい。何が起こるかは火を見るよりも明らかだ。

入り口まで4~5時間行列し、中に入ればすし詰めの来訪者と押し合いへし合いしつつ、アナウンスに急かされて30分そこそこで退出するなんてギャグでしかない。

イーノ展はいかなる意味でもそのようにして体験すべきものではないのだ。

そういった意味で、東京からそう簡単にふらりと訪れられない京都での開催は極めて妥当だ。

もちろんそれだけが理由ではない。単に東京から離れた街というだけなら候補はいくらでもある。

それでも京都が選ばれたのは、このイーノ展自体が京都という古都に包まれることで最終的な完成を見るためだ。

会場の中でブライアン・イーノの作品に包まれることと、その会場が京都に包まれることは入れ子構造になっており、体験をより強固なものにしている。

いわば京都自体が外郭としてイーノ展の会場といえるのである。


京都の呼吸の速度


ではイーノ展は京都の何を選んだのか。それは京都の持つ呼吸の、その速度なのではないだろうか。

京都は言わずと知れた794年の平安京より始まる日本の古都である。何度もの戦乱や災害を乗り越え、1200年を超える歴史を持って現代にまで至る街だ。

この街の速度は東京に比べて良い意味でゆったりとしている。東京がオーバートップギアなら、京都はサードギアくらいだ。

それはたとえば通勤列車の混雑具合や街角や列車内の広告の量を見れば分かる。また居酒屋が混み始める時間が18時から19時だといえば、東京との違いを実感してもらえるだろうか。

現在進行形の呼吸として京都は東京よりもずいぶん遅いのだ。それはライフスタイルにも如実に表れる。


街角の何の変哲もない路地の家々で人々は多くの草花を育てている。四季を通じて京都の町を歩くと、あちこちで季節の花を見ることができる。

春先の梅から桜、木蓮に沈丁花。薔薇から紫陽花に移り変わり、蓮や向日葵が夏を彩る。秋に金木犀が香るころには秋桜や彼岸花が川原を彩り、しばし紅葉の時期の後には椿が花を付ける。

この街は未来に向かってむやみに駆け抜けるのではなく、季節を愛でながら螺旋を描いて進んでいる。


京都人も学生も移住者もこよなく愛する鴨川の流れに沿って歩いてみれば、そこにいるのは若い等間隔カップルだけではない。

平日の日も暮れる前からウォーキングやジョギングに励む人、のんびりと散歩をする人、学生サークル、網を持った子どもたち、上半身裸の黒光りするおっさん、楽器を練習する老若男女、紙媒体の本を読む人、通勤中に缶チューハイを空けるOLたちの幸せそうな姿を見ることができる。

日々の営みや移りゆく季節の中で、自然と文化がしっとりと染み込んでゆくような生活がそこにはある。

停滞ではなく同居


もちろん停滞しているわけではない。毎年新しい学生たちが京都に進学し、外国人を含む多くのよそ者たちがこの場所を訪れ、住み着く人も少なくない。

新しい店はひっきりなしに生まれ、消えてゆく店も当然ある。それでもすべてが流れ去ることはなく、地層のように古いものと新しいものが同居している。

イノダコーヒーや六曜社のような古い喫茶店と、ウィークエンダーズコーヒーのような新しい焙煎所やブルーボトルコーヒーのような外から来たカフェが当たり前のように併存している。

古いものが残るのは古都という性質のなせる技かもしれないし、京都人の好みなのかもしれない。


融合しているものもあれば、互いに独立なものも多い。町家カフェや寺社でのマルシェやギャラリーなどは前者だろうし、茶道や華道、一見さんお断りのお店のように格式を崩さない店もある。

いずれにせよ京都は、日々の呼吸にしても、もっと長いスパンの呼吸にしても、私たちを急かすことはない。

だからできるだけ京都の呼吸の速度に馴染んでからイーノ展を体験した方がいい。


新幹線で来てすぐではなく、できれば1泊、可能ならば2泊くらいしてからを強く勧める。

京都で美味しいものを食べ、楽しい酒場を訪れ、寺社仏閣をいくつか訪れ、当てもなく雰囲気の良い路地を探して散歩し、鴨川のほとりでせせらぎを聞き、呼吸のギアを落としてみてほしい。

イーノ展を包む京都の呼吸の速度に近づいてあの会場を訪れた時、あなたはきっとイーノの作り上げた空間により深く没入していけると私は思う。

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