「勝共連合(統一教会)」の目指す自主制定憲法、自民党改憲草案と激似でした



安倍元首相暗殺事件で一躍日本人にその存在が知れ渡った韓国発のカルト宗教「統一教会」。

この統一教会の創始者、文鮮明が作った国際勝共連合には安倍元首相の祖父の岸信介元首相が深く関わっていたことは以前お伝えしたとおりです。

勝共連合は日本で「自主憲法制定運動」なる運動を行っているのですが、ここで目指している自主制定憲法の内容は自民党が発表した改憲草案と極めて似通ったものでした。


自民党と統一教会は憲法という視点からどこまで「同じ未来」を見ているのでしょうか。以下、勝共連合の記述と自民党改憲草案を見ながら類似点を探っていきます。


歴史・文化・伝統をふまえた憲法とする



自主憲法制定運動の根幹にあるのは、日本国憲法がいわゆる「押しつけ憲法」であるという史観です。

それ故に日本国憲法は歴史と伝統に基づく日本の「国柄」や「国のかたち」を踏まえていないとし、自主憲法制定が必要だと結論づけています。

そうした視点は容易に西洋的な天賦人権説の否定と結びつきます。この点で勝共連合と自民党の主張の根幹は極めて似通った背骨を持っているといえるでしょう。

日本国憲法前文、基本的人権と義務、国民主権、家族条項、公共の福祉と公の秩序の関係などについて詳しく見ていきます。

日本国憲法前文は「詫び状」で「植民地宣言」


勝共連合は現在の日本国憲法の前文を「マッカーサー草案の直訳で翻訳特有の悪文、かつ連合諸国への「詫び状」、占領体制への「植民地宣言」と言えます」であるとします。

これは2012年、自民党が政権を取得することとなった衆院選での安倍元首相の「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」とした発言と通じるものだといえるでしょう。

両者の共通点は、日本が外国から押しつけられた憲法だとし、そしてそれゆえに自主性を欠いているとする視点です。

歴史と伝統の偏重と人権主義、国民主権の否定


勝共連合は「過剰な人権主義、歴史と伝統を否定した偏った国民主権が謳われています」としていますが、これも自民党の稲田朋美議員の「国民の生活が大事なんて政治はね、私は間違ってると思います」や西田昌司議員の「そもそも国民に主権があることがおかしい」などの発言に通じています。

また「新憲法の前文は、日本の国の成り立ち、「国柄」や「国のかたち」を明示し、歴史と伝統をふまえたものとするべきです」とした部分は、片山さつき議員の有名な以下のツイートと極めて良く馴染みます。



国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!
魚拓



これを裏付けるように、自民党の「日本国憲法改正草案 Q&A」では「前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべきですが、現行憲法の前文には、そうした点が現れていません。」としています。


内容の説明でも「第一段落では、我が国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であることを明らかにし」「第五段落では、伝統ある我が国を末永く子孫に継承することをうたい、新憲法を制定することを宣言し」とされており、歴史、文化に基づいた国柄や国のかたちが謳われています。

「人権」の過剰を是正し「義務」を示す



次に見ていきたいのが国民の権利と義務に関する部分です。

統一教会は国民の権利が叫ばれ過ぎて「人権天国」となっていると問題視。また「家庭条項」が無くなったことにより行き過ぎた個人主義がはびこっているとします。

さらに公の秩序を重んじるべきとした上で、権利には義務が伴うと明記するよう求めています。それぞれ見ていってみましょう。

国民の「権利と義務」


勝共連合は日本国憲法の人権が過剰であると批判し、義務を示せと述べています。

勝共連合によると「憲法3章の「権利と義務」では権利が22カ条なのに義務は3カ条のみです。執拗に権利が叫ばれ、義務や道徳観がないがしろにされ、人権天国となっています」とのこと。

権利と義務について「日本国憲法改正草案 Q&A」は以下のように主張しています。

立憲主義の観点からすれば、憲法は権力の行使を制限する「制限規範」が中心となるべきものですが、同時に、立憲主義は、憲法に国民の義務規定を設けることを否定するものではありません。
実際、現行憲法でも「教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」が規定されており、これは、国家・社会を成り立たせるために国民が一定の役割を果たすべき基本的事項については、国民の義務として憲法に規定されるべきであるとの考え方です。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」6Pより引用)


実際に自民党改憲草案では「国民の責務」として第十二条が以下のように定められています。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」46Pより引用)


同時に国民に対して「憲法尊重擁護義務」が新設されています。

第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」66Pより引用)


立憲主義という、憲法によって権力を縛る役割を果たしていた日本国憲法は、自民党改憲草案では国民に憲法を守る義務を課すものに変貌していますが、これも統一教会の目指したものと一致しているということです。

もう一度先に提示した片山さつき議員の「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。」という言葉を思い起こしてみても良いでしょう。

家庭条項をもる


そしてその義務の中核にあるのが家族条項です。勝共連合は「マッカーサー草案にあった家族条項も削除され、行き過ぎた個人主義が闊歩しています」と批判。

これに呼応するように自民党改憲草案では「家族、婚姻等に関する基本原則」として国民に以下のように義務を強います。

第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」48Pより引用)


Q&Aでは「昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われていることに鑑みて」この規定を作成したとしており、「個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません」としていますが、そうであれば義務を課す必要はありません。

自民党改憲草案が参考にしたとされる「世界人権宣言16条3項」は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」というものです。

ここではあくまで結婚と家庭に関する権利と自由についてのみ述べており、義務を課す自民党改憲草案とはまったく異質なものです。

これについて勝共連合は「また、「世界人権宣言」が家庭を社会の基本とし国の保護を受ける権利を有するとしているように、新憲法にもその旨を明記すべきです」としており、ネタ元が完全に一致しています。

公共の福祉と公の秩序


勝共連合は「新憲法では人権と「公共の福祉」「公の秩序」との整合性を図り、権利には義務と責任が伴うことを明示すべきです」と指摘。

自民党改憲草案では「公共の福祉」がすべて「公益と公の秩序」に書き換えられています。Q&Aでは「「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に改めた理由」として以下のように述べられています。

従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため、学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。しかし、街の美観や性道徳の維持などを人権相互の衝突という点だけで説明するのは困難です。

今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、その曖昧さの解消を図るとともに、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」13Pより引用)


自民党改憲草案では公共の福祉の意味が曖昧としていますが、「学説上」の「解釈」とされている部分が明確に公共の福祉の意味であることは、法学を学んだことのある人間にとっては自明です。

また説明の最後では「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に書き換える理由として「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」と説明。

基本的人権の制約の発生に関し、公共の福祉を「人権相互の衝突の場合」と明確に示しており、曖昧であるとの主張と大きく乖離しています。

9条を改め、軍事力の保持を明記する



そしていわゆる「9条改憲」についても勝共連合と自民党の目指す道は極めて近いものとなっています。

勝共連合は「国連憲章は個別的及び集団的自衛権を国の固有の権利と明示しています。」とした上で、「新たな憲法では、国際法に基づき自衛権としての「軍事力」の保持を明記し、その際の交戦権も認め、同時に国民の国防義務も明らかにすべきです。」とします。

自民党改憲草案では

(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」45Pより引用)


とされており、自衛権の発動としての交戦権を認めています。

なお「国連憲章は個別的及び集団的自衛権を国の固有の権利と明示しています。」とした勝共連合の指摘と呼応するように、Q&Aには以下のような記述も見られることも注目です。

この「自衛権」には、国連憲章が認めている個別的自衛権や集団的自衛権が含まれていることは、言うまでもありません。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」10Pより引用)


また以下のように国防軍という「軍事力の保持」が明記されています。

(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」45Pより引用)


さらに国民の国防義務としては以下のように定められています。

第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」46Pより引用)


この部分に関しては勝共連合の意見よりもマイルドになっていますが、そこには徴兵制に関する極めてナイーブな事情が関わっていることがQ&Aでは示されています。

党内議論の中では、「国民の『国を守る義務』について規定すべきではないか。」という意見が多く出されました。しかし、仮にそうした規定を置いたときに「国を守る義務」の具体的な内容として、徴兵制について問われることになるので、憲法上規定を置くことは困難であると考えました。

(「日本国憲法改正草案 Q&A」12Pより引用)



徴兵制が再び取られる可能性があるとなれば世間の反発が大きくなることは必至です。そうなれば改憲自体に対する忌避感が強まる可能性が極めて高いため、それを回避したとも考えられるでしょう。

統一教会と自民党は同じ未来を見ている

自民党改憲草案の文言について、統一教会の意図のみが影響しているということはできません。

かつて日本会議の理想が自民党改憲草案に多く盛り込まれているとされたように、日本の一部保守勢力の意図が色濃く反映していることは繰り返し指摘されてきました。

こうした保守勢力のそれぞれの影響を明確に切り分けることは不可能ですが、統一教会が自主憲法制定運動の中で見ていた未来が自民党改憲草案と極めて近いものであることは間違いないでしょう。

もちろん統一教会が日本で行ってきた数々の反社会的行為を見れば、例え同じ未来を見ていたとしても手を組むことが許されるかはまったく別の問題です。

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